こんにちは・こんばんは・お疲れ様です。
皆さんは自意識高い方ですか?そうでもないですか?
今回は私自身に強く当てはまる部分も多く、興味深いので触れる事に。
※ラジオ番組(番組名失念)からの引用文字起こしも多い内容かと思います。
自意識過剰…若い頃、誰しも一度くらいは言われた事のある言葉かもしれません。
容姿や立ち振る舞いなど、自分が他人にどう思われているのか?見られているのか?気になって仕方ないとか。(本当はそうでもなくても)
こうやって書くと欠点のようにも感じますが、自意識が強いというのは一つの機能であり、才能とも言えるのだそうです。
自意識が強い人は学習効果が高いと考える事ができます。
何もかも自分に言われている、という事で自分にフィードバックする機能だと言えます。
サルバドール・ダリも自意識過剰だった
スペインの画家、サルバドール・ダリ。 ザ!シュールレアリズム。
以前、東京の新国立美術館にダリ展を見に行き、本当に素晴らしいなと思いつつ脳がオーバーフロー起こす程の多産多作でクオリティの高い作品群を見ました。
そんなダリですが意外にもこの人は、潜在的自己評価は低くかった。内心では自己評価は低くて、周りから自分はどう見られているのか気になって仕方ない。
半面、顕在的自己評価は高い。自分はすごく鼻高々でプライドが高い。(目立ちたがり屋のイメージ)
だけども本心では自己評価が低い。だから誰かにいつも認められたいわけです。
認められるにはどうしたら良いか?と他人の視線が気になって仕方ないという事です。
特に年上の妻ガラという人がいましたけど、ダリは彼女にどう見られているのか気になってしょうがない、どうしたら彼女に認められるのか?愛されるのか?どうしたら彼女が自分の絵を売ってくれるのだろう?ずっと考えている。その気持ちが作品を作るモチベーションにもなったり、みんなにどうやってウケるかを考えていて、それがあの驚きの作品にも色濃く反映してたそうです(どうやったら皆がワッと沸くか?みたいな)そういう意味では自意識の高さが彼の才能の一部だったとも言えます。
これに関しては多くの芸術家や芸能に関する職業の方にも多い特徴なのかもしれません。(そうでない場合もありますが)
また、ダリは保守的な故郷を離れ、新世界新天地アメリカを目指したというのも納得です。
余談ですが潜在的自己評価の低く落ち込みがちな人は・・・
潜在的自己評価の低く自己否定がちな人、は自分なんかと自分を卑下しないで下さい。
できたら他人をもてなすように自分をもてなすと良いそうです。
例えば、お客様に出すような高価な食器で珈琲や紅茶を飲むとか。
そういう事を重ねると自己否定は薄れてくるそうです。
自意識過剰ではマズイ職業って?
例えば、研究者とかは世間の評価を気にしてデータの改ざんをしたらマズイですよね?裁判官や警察官も同じ事だと思います。データの信用性安全性が問われる企業など。絶対に変えてはいけないデータや事実を世間の評価に合わせて変えてしまったら困るような職業ですね。
自意識過剰がもたらすデメリットとは?
他人の評価が気になって仕方ない、場合によっては評価を上げるために、自分考えを変えて失くしてしまう。これは苦しいでしょうし、良くない事ですね。
あとは常に他人の評価や視線に過剰なので、ストレスも相当だと思います。
では逆のタイプって?
潜在的自己評価が高く、自意識は低い。技術者に多いタイプかもしれません。
技術者は技術が重要であって、世間の評価は後で付いてくればいい。とも言えますね。
最後に
私自身は若い頃バンドをやったり美術系の専門学校にいったりと、今でも自意識が高かったり過剰な部分もあるかもしれません(笑)
半面、職人の家に生まれ、寡黙な技術者の父を見てきたので、技術職は技術がマストとも常々思っています。
個人で整体・タイマッサージセラピストをやっていると、自分が看板(バンドでいうとフロントマン)であるという思いと、職人であるという思いの両方があったりします。
さすがにキャリアが長くなってくると内心の潜在的自己評価が少なからず上がったのかなと思いたいですが。
ダリのお話を振り返ると、自意識の高さや低さというのはその方が持つ特徴であって、長所短所になるのは悪い方に転んでしまうか、良い結果に結ぶかの違いなんだと思います。
人は年齢を重ねると自意識は自然と低くなるそうです。
なので若い方は目いっぱい拗らせて?自分を伸ばす材料にされるのも良いのかも。
今回はいつもと違う毛色のお話でした。
今日も明日も皆様が健やかでありますように。
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